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エラ・フィッツジェラルド Ella Jane Fitzgerald

プロフィール写真:Ella Jane Fitzgerald

ランダムな皺と粗雑に縫製が印象的な生地をバックに素直な人柄が覗くエラ・フィッツジェラルドのプロフィール写真。当たり前に生きて当たり前に歌い、当時(1900年代半ば)の合衆国を生きた彼女らしい深い味わいのプロフィール写真として筆者のお気に入りの作品である。

1917年にヴァージニア州ニューポート・ニューズに生まれ、非常に複雑な家庭環境のもとニューヨークで多感の幼少の時代を過ごした。14歳で両親を失い、劣悪な境遇の中で学業へいそしむことなく売春宿やマフィア組織の中で働き、少年院といわゆる娑婆での生活を繰り返しながらハーレムでの路上生活を送っていたと言われている。

幼少の頃より歌には関心があったらしく、1934年17歳のとき初めて聴衆を前に自らの歌唱を披露したのがニューヨーク・ハーレムのアポロ・シアターであったようだ。その当時は現在に残されている彼女の超絶技巧を盛り込まれた歌唱力は未だ無かったらしく、彼女がひそかに憧れていたコニー・ボズウェルのスタイルを真似てたどたどしい演技を披露する程度のものであった。しかし、その素養をチック・ウェブズ・バンドのBardu Aliに見出され楽団への誘いを受け、その後のエラの生涯を大きく変える事となる。翌年サヴォイ・ボールルームでチック・ウェブズ・バンドをバックに歌手活動を開始、これをきっかけに数多くの名盤を残す事となる。
1941年からはソロ活動を開始。この時期はデッカ・レコードのMilt Gablerがマネージャーを兼任。1955年にデッカを離れた後は、ノーマン・グランツ創設した社ヴァーヴ・レコードに所属し一躍有名ジャズ・シンガーとしてその名を轟かせた。

晩年は糖尿病により視力の衰えが著しく、1993年には同病名の悪化で両足を切断する手術を余儀なく強いられ、引退することとなる。1996年6月15日カリフォルニア州ビバリーヒルズで他界。享年79歳であった。


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