Rollins 60's-2
1963年、ジャズコンサートの草分け「ニューポート・ジャズフェスティバル(Newport Jazz Festival)」に出演。その際セッションメンバーとして彼が以前より敬愛していたコールマン・ホーキンスと共演を果たし、その直後にホーキンスをゲストメンバーとして加えたアルバム『ソニー・ミーツ・ホーク』が発表となる。所以は定かではないが、この時期を境に日本での公演が開始され、日本のジャズファンにとってソニー・ロリンズというミュージシャンへの認識が身近なものとなり、様々な話題を呼ぶ事となった。その中でも印象深いものとして、彼の思想的な背景や生き様を物語る象徴としてヘアースタイル【モヒカン刈り】が挙げられる。アメリカ合衆国の国民として非常に複雑でありデリケートな部分である色々な人種の共存に対する見解を真っ向から受け止め、一人の演奏家として次のような発言を残している。
「私のあらゆる表現は怒りを源とするもののようだが、その結果にユーモラスな部分を少しでも感じて貰えれば最高にうれしい」
自身の音楽をコアとする出来事に対してアフリカ系アメリカ人としての考えが思想をつくり、その中での苦悩が彼の演奏内容に大きく影響していることが伺える。
1965年以降はレコード会社を移籍し映画音楽の名曲「アルフィー」を制作。60年後期には再び日本公演を行い、日本のピアニスト菊地雅章と共演を果たす。
その後、原因は定かではないが、1969年に三度目の演奏活動の停止に至り、インドに渡る。
